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昔あるところに、畑を耕すことしか能がない男がいた。その男はひとりで畑ばかり耕している。しかし、畑ばかり耕しているから、住む家もなければ着る服もない。ただ、収穫された野菜だけは山のようにあった。男は嘆いた。「ああ、俺は畑ばかり耕しているから何もできない。住む家さえない、不幸をしょっている…」。

また、別のところには家をつくることしかできない男がいた。家をつくることしかできないので、いつも腹をすかせている。男は嘆いた。「ああ、俺は家をつくることしかできないから、こんな大きな家に住みながらも腹が減ってしかたがない、俺はなんて不幸なんだろう」。

あるとき、2人のところにミニコミ屋さんが情報誌を運んできた。その情報誌には山の向こうで腹を減らせている人がいることや、山の向こうで家を求めている人がいることが書いてあった。

そして2人は出会った。不幸と幸せを分かちあうことで、そこに「社会」が誕生した。

この話は、社会と情報についてのひとつの寓話です。

人本来はそれぞれにデコボコした存在です。この寓話ででてくる畑さんと大工さんがまさにそうでしょう。特化するには何かを犠牲にしなければなりません。「能がない」という表現は誤解を招く恐れが多々あるかもしれませんが、たとえば畑さんは大工仕事に能がないが畑仕事には能があるのです。

それはまるでジグソーパズルのようです。ジグソーパズルのピースは凸の部分と凹の部分があります。それが互いに繋がればなかなか崩れないジグソーパズルになります。

もし、ジグソーパズルのひとつのピースが真四角でだったらどうだろう。無くしたピースは他のピースで埋めることが簡単にできるが、全体のジグソーパズルはちょつと揺らしただけで脆くも崩れてしまうでしょう。

人はいつでも、情報を求める生き物です。それは人はひとりでは生きられない生き物ゆえんの本能かもしれません。

どんなに人嫌いな人でも情報には接していたい。なぜなら、その情報の向こうには人がいるからではないでしょうか。そう、その人は人が嫌いなのではなく、人との付き合い方が嫌いなだけなのです。

今、社会は人を真四角なピースとして捉えているような気がします。誰もが良き社会人としての顔を持ち、デコボコしないようにうまく立ち回っています。

しかし、そこに人と人を結ぶメディアが存在するなら、この寓話のように誰もが自分が抱える不幸と幸福をシェアし、共に暮らす社会が構築できるのではないでしょうか。 人は誰でも、人を求めているのです。

「ほっとかこがわ」は、情報と情報を結び、そこに社会形成の苗床となるコミュニティを形成させるお手伝いをすることを目的としております。

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