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ウチの近くにノラ犬がいた。
小犬のその犬は、やたら人なつこくて近くの小学生らに給食の残りなどをもらって食っていた。
いたずらざかりで、近所から盗ってきたスリッパをよくガシガシと噛んで無邪気に遊んでいた。
自分がアウトローな存在であるとは夢にも思ってなかっただろう。スリッパを盗むことがヒトの社会ではイケナイことだとは誰も教えてくれなかったし、その小犬にとってはそれはあたりまえの行為だった。
保健所がその小犬を捕らえにきた時も、しっぽを振って自ら寄っていった。その先に死が待っているとも知らずに。
保健所に通報した、Aさんは「これでスリッパが盗られんですむワ」とニコニコ顔で言った。
小犬は、スリッパと引き換えに命を無くしたのだ。
それから半年あまりが過ぎたある日、近くの川に魚が白い腹を見せて浮いていた。
一匹二匹…かなりの数だ。なにがあったのだろうかと思った。
やがてわかったその原因は、農薬だった。
Aさんが川に除草剤を撒いたのだ。
町内の大掃除のときに市からもらった農薬のあまりを川に捨てたらしい。
「これで草引きせんでもええワ」
Aさんはニコニコ顔で言った。
雑草のはびこる見苦しさと引き換えに魚達は命を落とした。
小犬も魚も生きることに責任を持っている。 抗議の声もあげないし、ヒトに歯向かうこともない。
現状を素直に受け入れ流していくのはその責任を自覚しているからに他ならない。
他の命の上に自分が成り立っていることへの懺悔は、生きていく責任として清算している。
テレビが「命を大切に…」とか「愛が地球を…」といっている。
しかし、そんな言葉が希薄に聞こえる。すべては、言葉の一人歩きにしか過ぎないのだ。
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