犬捨男/ひさしぶりだねぇ、西鶴さん。今度写真展やるんだってね。

西鶴/そう、あなたみたいな犬を捨てる人を少しでも減らしたくてね。

犬捨男/ふふん、で、西鶴さんはあの写真見てどう思ったの?

西鶴/皆、イイ目をしてると思ったね。あの写真の犬はどの犬も素晴らしくイイ目をしてた。あんなイイ目をしてる犬を捨てるなんて信じられないね。犬を捨てる奴は飼い主のクズだね。無責任に命を飼うなってんだ。

犬捨男/ふふふん、ガッカリだな。そんなことしか思わなかったのかい?それで保健所や犬を捨てた飼い主をヒステリックに糾弾するのかね。

西鶴/いや、糾弾なんかしないよ。第一今回の写真展は保健所に協賛についてもらったんだ。これは、現実をまず知ってもらって多くの人に考えてもらいたいという保健所と僕らKRDCの意見が一致したから実現できたんだよ。

犬捨男/ふふふふん、意見が一致した?利益が一致したの間違いじゃないの。

西鶴/利益?利益なんてださないよ。無料だし。

犬捨男/お金のことじゃないよ。じゃ、思惑が一致したと言い直そう。あんたたちは、行政に協賛してもらうことでいわば犬飼としての市民権を手に入れたと思ってる。そして行政は……

西鶴/ちょっと待った!市民権だって?アンタ何言ってるんだ。僕達は市民権は勝ち取るもんだといつもいってるんだよ。たとえば、犬のしつけを徹底したり、ウンコが落ちてないまちをつくることで犬も市民権が得られるんだ。皆に認められて。

犬捨男/また熱くなる・・・。最後まで喋らせてくれよ。あんたたちの団体はたしかにしつけ教室やアジリティやらをやってるよね。ウンコ拾いなんてこともやってたっけ。

で、何が変わったの?遠巻きに見てる人は、犬のマニアの団体としか見てないでしょう。「ちかよったら邪魔になるから」とよけて通られてんじゃない?

大方の人はあんたたちを犬オタクな団体としか見てないんだよ。あんたたちは、KRDCなんて団体名をつけることで門を狭くしたことに5年もやっててまだ気がつかなかったのかい。

それとも、気がついていたけど団体名を名乗ることで行政や犬の苦情を言ってくる市民に誤魔化しがきく楽さをおぼえて気がつかないフリをしていたのかな。

西鶴さん、あんたKRDCの新聞で飼い主は闘えなんて書いてたけど、闘ってないのはアンタたちのほうだよ。アンタたちは闘いを放棄して馴れ合いという気持ち良さに浸ってるだけだよ。それがアンタたちのいう啓蒙なのかい?

西鶴/こういったイベントをやることが僕らの闘い方なんだよ。

犬捨男/いや、違うね。アンタたちは常識という社会の免罪符を手に入れるために団体活動をしてるんだよ。

「赤信号皆で渡れば怖くない」なんて誰かのギャグがあったけど、団体だから闘えるんじゃなくて、団体だから闘わなくてすむと思ってるんだよ。

民主の逆利用だ。それは卑怯者の考えることだよ。 実際、KRDCはアジリティとかフリスビーとか遊んでばかりじゃないか。捨て犬一匹レスキューしてないんだよ。

犬飼のプロだなんてのたまってるが、アンタたちはいつもイイとこどりだよ。肝心なところでは僕達にも生活があるとか、レスキューする余裕がないとか言い訳して逃げるんだ

犬を捨てる人の言い訳をしってるかい?知らないだろうな、アンタたちは一度も現場に降りてなんかこないからねぇ。僕が教えてやろうか。

それは「余裕がない」なんだよ。「散歩の余裕がない」「吼えないしつけをする余裕がない」「避妊手術をする余裕がない」。わかるかい、これはアンタたちがするのと同じ言い訳じゃないか。

西鶴/しかし、余裕があればもっと状況は違ってくるはずだよ。

犬捨男/はははん、まだわかってないらしいな。余裕があったら自ら不幸にふれてみるというのかい。余裕があれば、見なかったふりをするんだよ。

もしくは園芸のかわりの趣味のボランティアだ。キレイごとを並べた団体つくって自分達だけイイ目をするかもしれないなぁ。あ、もうしてるか。

いいかね、ヒトは動機がなければ動かないんだ。動機とは余裕からは生まれないんだよ。もっとせっぱつまった状況から、どうしょうもなくなって生まれるものなんだよ。

アンタたちは団体をつくることで動機をなくしたんだ。アンタたちが作ったのは議論のない道徳だ。

犬捨男という正体のない悪人だ。悪人を糾弾することで自分達は善人であろうとする保身だ。 誰だって悪人にはなりたくないんだよ。だから黙り隠れるんだ。

議論の土俵に乗らせないのはアンタたちが張るレッテルだ。表面のイイ子ちゃんはそこにはびこるんだよ。

俺はバカで正直ものだからアンタたちの目の前に現れるよ。しかし、多くの犬捨男は隠れている。アンタたちの中にね。

俺はアンタ達のいう悪のカタマリかい?排除すべきヒトなのか?犬は公園から出て行けといわんばかりに。それとも、俺が言葉を喋らずにフサフサのシッポをつけて、ハンペンみたいな三角の耳をつけてたらアンタたちはどうするね。

カワイイなんていいながら、ゲージの中で一生暮らさせるのかい?

西鶴さん、涙の数だけ幸せがあるとは限らないんだぜ。

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犬捨て後記→

 

犬捨男は警鐘する。
善悪の二元論でこの問題を語ることの危うさを。

たしかに、あらゆる問題は本当の意味での議論がなされていないのはまぎれもない事実だ。

僕達はこの問題がいかに自分の身にふりかかるものなのかという危機感。

いかに自分の身の回りのことであるかという当事者意識。それらを持たねばならないのかもしれない。

そして、それを伝えていくのが犬を飼うものの役目ではないかと思う。

縦割り行政なんて言葉があるけど、僕たち縦割り市民ではないだろうか。

つまり横の情報が人という群れに危機感を与えるのではないだろうか思うのだ。


この「仮想対談」は、1999年に加古川リバーサイドドッグクラブのコーディネートにより、加古川市役所10階の展示ロビーで行った児玉小枝さんの写真展「動物達の鎮魂歌」で配られたパンフレット(制作は加古川リバーサイドドッグクラブ)の一部である。

この仮想対談に登場する犬捨て男はタイトルに示すように架空の人物であるが、実際犬を捨てる人はすべて匿名性をおびている。

なぜなら、ほとんどの人が犬を捨てることを「悪」だと思っているからだろう。

しかし、犬捨てはなくならない…。何故か?

この仮想対談にはその答えが浮き出されている。