加古川シネマクラブ設立4周年記念上映会「二人日和」にゲストで栗塚旭さんが!
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「ないものねだり」という言葉があるが、たとえば寺家町にライブハウスがほしいなんて意見があったりするが、これはないものねだりだ。そういったことを言う人にかぎって、いざライブハウスが出来ると足なんか運ばなかったりする。 あたりまえのことだが、金銭的に少なくともペイできなければ、それは成り立たない。それで成り立つのは、変なお金の流れの中で乱立され、放置状態になっている特殊法人の例の施設だけだろう。 加古川にミニシアター系の映画館がほしい。この声も昔からあった。 かつてこの国にはどんな地方の都市にも映画館というものが存在した。それは戦後のアメリカが提示したひとつの政策で、「アメリカはこんなに豊かなんだよ」という宣伝映画を全国の学校や公会堂などで上映し、そのインパクトが日本に映画を根付かせたものなのだが、加古川駅前も例外ではなかった。 が、時代は流れ今は映画はビデオレンタル屋さんでも、パソコンでも、衛星放送でもBANBANでも流れてくる。それでも、加古川にミニシアター系の映画館がほしいという声は根強く生き延びていた。 なぜか? まず、なんといっても大きなスクリーンでみることを前提につくられた映画は、ご家庭のテレビでみるのは想定外だということだ。なるべく制作者が意図している環境で見る。これは映画の場合すげー重要なことだ。なにげないワンシーンに表現は凝縮されていることはよくあるからだ。 次に、映画を見たあとはやはり映画談義がしたい。都会と違い加古川あたりでは同じ話題で会話できる人を探すのは難しい。ネットで夜な夜な語れる熱いチャットや掲示板は、そんなニーズの現れであろうと思う。サブカルチャー系の人はこういった人の集まりを「カルト」と呼んでいたが、オウムの報道で「カルト教団」という使われ方が一般化してしまったために最近はあまり使われなくなってしまった。 全国には数おおくの「シネマクラブ」というものが存在する。これはいわば「映画カルト」で、点在するニーズをこのシネマクラブによって統括し、都会のミニシアター系の興業を一時的に成功させようというものだ。 さて、ないものねだりとは、つまり「誰かにまかせること」だ。ミニシアター系映画館がほしい、でも興行的に成り立たない、なら客は集めてしまおう、これがサブカルチャー的カルトだ。多くのカルチャーは、もともとサブカルチャーから市民権を得たものであるが、ないものねだりからは何も産まれない。 加古川シネマクラブも映画好きが集まり、興業収入的に人気のある作品だけでなく、ほんとうに見たいものが見たいんじゃいとスタートした。あれから4年たつそうだ。加古川シネマクラブHP 今回は、4周年ということでゲストトークを交えての上映会だそうである。(2006/7/19)
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