平成3年4月、名前のない12ページの冊子が加古川市内の公共施設に配布された。表紙には大きく、ゼロという数字が書かれていた。これが「ほっとかこがわ」の創刊準備号。本の名前は、その創刊準備号で公募され、次号より「ほっとかこがわ」という名前に決定する。

発行元は、「財団法人加古川市コミュニティ協会」(平成4年4月に財団法人化)だが、コミュニティ協会は制作に直接タッチするわけではなく、あくまで市民有志によって組織される編集部によって加古川のタウン誌をつくっていこうという趣旨のもと立ち上げられた。

全国的には商業ベースを含めて数多くのタウン誌があるが、このシステムはユニークなものだった。

創刊当時は、雑誌をはじめ媒体をつくるには多くの時間とお金が必要だった。今とちがい当時は一部のコンビニや文具店でしかコピーサービスは行なっていなかったし、値段もたしか1枚50円ほどしたのではないかと記憶している。

もちろんインターネットは、まだパソコン通信の時代であったし、ホームページという言葉もなかった。地元の情報を伝えるケーブルテレビもなかったし、商業ベースの新聞もまだまだ少なかった。

あれからちょうど今年2003年の4月で13年になる。

紙媒体としての「ほっとかこがわ」は第32号で幕を下ろした。その理由としては費用対効果の見直しということになる。10年前と違い、インターネットをはじめ、今はあらゆる情報の経路がある。その中で紙媒体ではどうしても情報がいきわたる人数に限りがでる。

ましてや経費の見直しはあらゆる企業や行政のテーマである昨今、これは時代の流れだ。

ここでは、過去の「ほっとかこがわ」の表紙とその主な内容を並べてみた。

txtby NISHIDA 2003/5

1991年
1992年

0号創刊準備号
1991/4
加古川在住の小説家である玉岡かおるさんへのインタビュー記事をのぞいてはスタッフ募集やネーミング募集などの告知記事がほとんど。付録に版画家岩田健三郎さんによるの加古川のイラストマップ(A3版)がついた
1号 1991/8
作家 玉岡かおるさんに加古川を歩いてもらい6ページにわたり加古川への思いを書いてもらっている。加古川のお店の紹介記事も人気に。
2号 1992/
加古川に住むということをテーマに特集を組んだ
3号 1992/6
川を特集。上流から下流までを順に紹介。
内容は環境問題から川を利用した暮らしや遊びに至るまで幅ひろいもの。
4号 1992/12
加古川むかし物語と題して、加古川に伝わる埋蔵金伝説や加古川に都を移す遷都論などを紹介。
1993年 1994年

5号 1993/4
ゴミやあき缶のポイステを特集。いままでの文化的な特集から社会的な問題を取り上げる特集に。ポイステをやめようという普及だけでなく、その心理までを探った。

6号 1993/8
加古川の夏という特集を組む予定だったがあまりにも漠然としたテーマに編集部がギブアップ。当時の編集長大槻氏により急遽加古川初の名誉市民である三宅周太郎の特集に差し替えた。

7号 1993/12
そもそも文化って何だろう?そんな疑問から組まれた特集。加古川独自ともいえる文化を面白おかしく考察している。

8号 1994/5
「あそびを遊ぶ」と題して特集。昔ながらの遊びからテレビゲームまで、あそびを紹介するとともに。その中にある社会学習の本能にまで考察は及ぶ。ほっと流教育論でもある

9号 1994/8
「加古川って何もないとこやなー」。そんな声に反論。加古川のNO1を探そうと編集部は東奔西走。いろんなNO1を探してきた

1994年 1995年 1996年

10号 1994/12
創刊10号目ということで、10年後の加古川の未来を予想した「10年後の未来」が特集。多くの人に「こんな10年後がいいな」と語ってもらった。今では実現したものも多い。

11号 1995/5
前号では「未来」を取り上げた。この号では「加古川戦後50年の記録」と題し、過去を取り上げた特集を組んだ。貴重な古い写真も数多く掲載。資料探しにあけくれながら制作。

12号 1995/10
かこがわの木を特集。いろんな木を取材。木と生活のあり方を考えた。

13号 1996/3
加古川線を特集。ゴトンゴトンとローカル線に揺られての取材。表紙のイラストも雰囲気を出してる。

14号1996/7
制作途中で大槻編集長が他界。この号に記された編集後記が最後の文となる。「言葉はこわいものです。といって発言したり、書いたりしないわけにはいきません…」。この言葉の重みをかみしめたい

1996年 1997年 1998年

15号1996/11
「冬はやっぱりお風呂やで」と、加古川のお風呂を特集。昔ながらの銭湯にまさに「はだかのおつきあい」を見た編集部であった。

16号1997/3
加古川の公共施設をとことん利用しつくそう!と「公共施設120%活用法」を特集。まちのハード面の見直しと、積極的にパブリックと付き合おうという2つの面からアプローチした。

17号1997/8
加古川近郊の高等学校を取材。中からでしかわからない学校や生徒の姿を伝えた。「着せ替え人形制服図鑑」は賛否両論を巻き起こした。

18号1997/11
加古川のスポーツ施設やサークルを取材。「加古川健康生活」という特集としてまとめた。

19号1998/3
山陽道をてくてく歩いて取材。車のような点の移動ではなかなか目につかない実に細かなまちの様子を掲載した

1998年 1999年

20号1998/7
「かこがわの昔話」と題し、隣のおっちゃんやおばゃんに昔話を語ってもらった。貴重な当時の写真も掲載し等身大のかこがわの歴史が浮かびあげる

21号1998/12
世の中の腹がたつことを、堪忍袋の緒が切れたようにぶちまけてしまえ!という「加古川立腹伝」が特集。社会に対して主体がなくなりつつある今、この怒るという行為は実は重要だったりする。しかし、多くの怒りは客体としての怒りだった。

22号1999/3
加古川近郊の公園を紹介するとともに、公園にまつわる問題点なども取材。公共の場とは何かという考察をした。表紙裏には、今回の取材を通して得た意見をもとに「夢の公園ほっとぱーく」のラフスケッチも掲載。

23号199/7
世の中は不景気に突入。が、それさえも楽しんでしまおうと「チープシックな生活」を特集。お金を使わず生活する様々な極意を紹介しているが、それはスローライフへの提案でもあった。

24号1999/11
「車がないと生活できない」とまで言われる加古川であえて「自転車でいこう」と特集。放置自転車の問題から、サイクリングコース紹介、さらには自転車で社会が変わるという提案までしている。

2000年 2001年

25号2000/3
2000年を迎え、「21世紀に残したいもの」を特集。ノスタルジーな感傷に浸るのではなく、残したい意味を検証、懐古に走ることなく、あくまで「未来」を見据えた。

26号2000/10
加古川駅周辺をぶらぶらと歩いてみた。また寺家町商店街や本町商店街の店主の皆さんをお招きしての座談会も開催した。

27号2001/3
「加古川勉学のススメ」として、いろんなサークルや教室を取材。生涯学習特集ともいえる内容。学ぶことが生活に何をもたらすかという考察も面白い。

28号2001/8
「加古川口伝.昔むかし物語」と題し、加古川に伝わる民話と伝承を掲載。実際にその現地で近所の人達に聞き込み取材した。ちょっと怖かった取材もあった。

29号2001/11
昔むかし物語の後編。この号では、むかし話の紹介とともに、むかし話を現代に伝えていこうとする人々も紹介している。

2002年 2003年    

「ほっとかこがわ」のバックナンバーを入手したいという方へ・・・古い号に関してはほとんどストックがありません。加古川市内の加古川図書館・加古川中央図書館の書庫には0号から32号までが保管されていますのでそちゅいらでご覧くださいますようお願いいたします

加古川市内の図書館・・・図書館マップが掲載されてます。

30号2002/3
ペットブームの中、加古川の犬事情を取材。また特集連動企画として、保険所で殺処分される犬の最後の表情をとらえた写真の展示会も開催した。

31号2002/8
「コミュニティーサークルのつくりかた読本」として、いろんなサークルを取材、活動費捻出や場所の確保、人集めなど、そのノウハウを聞いた。

32号最終号2003/3
特集は「メディアを創ろう」。加古川にかつて存在したミニコミやフリーペーパー約16誌を紹介するとともに、これからのメディアはどこへ向かうのかを考察。

 

(C) hotkakogawa All rights reserved.